【未来を創る人事のリレートーク】第2回「変革を支える、人事の戦略的思考」前編

エッセンス株式会社では、「未来を創る人事のリレートーク」を新たにスタートしました。毎回、多彩なゲストをお迎えし、それぞれのご経験や想いを語っていただくとともに、次回のゲストをご紹介いただくリレー形式で進行します。つながりを広げながら、共に豊かな未来を描いていく対話の場として育ててまいります。
(写真左より:飯田氏、蓜島氏)

リレートーク第1回目は、「人材開発と越境研修」をテーマとして、企業現場で豊富な知見を培ってこられた渡辺 剛史氏(Al inside株式会社 Human Resource Development Division Director)をお招きし、お話いただきました(第1回目の記事はこちらから)。
今回は、渡辺氏と前職企業で共に人材開発を担った飯田 浩二氏をゲストに迎え、これまでの社内変革の実体験や人事の戦略的思考について語っていただきました。ファシリテーターは前回に続き、26年間、組織・人材開発のコンサルタントとしてご活躍されている蓜島 資幸氏です。非常に充実した内容となりましたので、前後編に分けて掲載させていただきます。ぜひご一読ください!

ゲスト:飯田 浩二(いいだ こうじ)氏 
東急株式会社 人材戦略室 人事企画グループ 参事
2006年 都築電気株式会社に入社。初期配属より人事畑を歩み続ける。給与労務・採用・制度改定・人材育成・人事企画・戦略・開示業務を経験。2025年4月より東急株式会社に入社。同社にて参事として、戦略企画・人的資本情報開示・組織開発に従事。
ファシリテーター:蓜島 資幸(はいじま もとゆき)氏 
PowerXus株式会社 代表取締役
大学卒業後、ウィルソン・ラーニング ワールドワイドにて人材開発コンサルタントおよび部門マネジメントを歴任。その後、コーン・フェリーにて人材開発コンサルティング部門の日本マーケット責任者を務める。2019年には、現キンセントリックジャパン合同会社の立ち上げに経営メンバーとして参画。2023年1月、組織・人材開発コンサルタントとして独立・起業し、PowerXus株式会社代表取締役に就任。

人事としての原点

蓜島さん(以下、蓜島) まずは、簡単にご経歴をお聞かせいただけますでしょうか?

飯田さん(以下、飯田) 2006年に都築電気株式会社(以下、都築電気)へ入社しました。都築電気は歴史ある老舗のIT企業なので、入社前は年功序列的な風土があるのだろうと想像していました。しかし実際は、若手社員たちが非常にエネルギッシュで活気があり「この人たちと一緒に、未来を作っていけたら面白そうだ」と感じたことが、入社の決め手となりました。大学時代は、Excelのマクロに触れていた経験もあり、システム系に興味がありました。エンジニアでも営業でもやります、と言って入社したのですが、「人事をやってみないか」と声をかけられました。一日考えたうえで、翌朝には「お願いします」とお返事しました。こうして私の人事としてのキャリアがスタートしました。

蓜島 一日考えたというのは、具体的にどのようなことを考えたのですか?

飯田 私の中で引っかかっていたのは、「人事に一度行ってしまったら、もう現場には戻れないのではないか」ということでした。現場を知らないまま人事になることに対して戸惑いがあったので、返事を保留し、考える時間をもらいました。父に「どう思う?」と相談したところ、「チャンスがあるなら、飛び込んでみてもいいんじゃないか」と助言をくれました。自分でも「こういうチャンスは、なかなかあるものじゃないな」と思っていました。特に、現場を経験せずに若いうちから人事を任されるような人はあまり多くない印象だったので、希少性のあるキャリアだと感じたんです。そのため、人事の道に進む決意をしました。
(写真:飯田氏)
蓜島 人事として携わったのはどのような業務だったのでしょうか?

飯田 最初に給与計算チームに配属され、給与計算プロセスを一通り経験しました。この時の実務経験は、今でも自分の人事としての根幹になっていると感じています。その後はチームリーダーを任され、年末調整業務もリードするようになりました。そうした流れの中で、人事制度全体の見直しプロジェクトに参画し、年功序列型だった賃金体系の改革に注力しました。プロジェクトでは、チームリーダーとして制度設計を主導し、等級制度との連携を意識しながら、対象給与の定義や構造の見直しを進めました。評価制度は別チームで推進されていたため想いにずれが生じ、連携が難しい場面もありました。その時はすり合わせを行いながら、徐々に評価領域にも関与していきました。こうした経験を通じて、人事制度全体を設計・運用する視点が養われ、自分のキャリアの基盤となりました。

蓜島 その後はどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?

飯田 人事制度改定が一段落したタイミングで、採用担当の部署に異動しました。当時は新卒採用が中心で、中途採用はほとんど手つかずの状態。中途採用を進めなければならない状況でしたが、与えられた予算条件は非常に厳しく、その中で試行錯誤しながら取り組みました。まず、「中途採用」という呼び方を「キャリア採用」に変更しました。また、採用ホームページを刷新し、まずは応募できる入口となる枠を設けることで、何らかの募集をかけた際に応募者を呼び込める仕組みを作りました。さらに、エージェントを使わずに採用活動を進める方法も模索しました。色々な取り組みを続けた結果、1年半ほどで数名の採用に成功しました。

人材開発担当としてのキャリア

蓜島 人材開発に携わるようになったのは、いつ頃からですか?

飯田 採用を約2年担当した後、人材育成部門に異動しました。当時はタレントマネジメントシステムの導入プロジェクトが数年前に立ち上がったものの、社内リリースが延伸し続けていました。その背景には、人事や現場など複数の部門が関与しているにもかかわらず、全体を統括する責任者が不在だったことがありました。そこでまず、「使える状態にする」という共通のゴールを設定し、各部門から責任者を立てて、合意形成を進めていきました。最終的に各部門が責任を持って運用・改善を開始する体制を築きました。

蓜島 飯田さんがプロジェクトマネージャーとして、ファシリテーションを行ったということですね。各部門の責任者は飯田さんより上の立場の方だったのではないですか?

飯田 そうですね。当時私はまだ人事の課長手前くらいのポジションでした。

蓜島 ご自身で手を挙げてこの役割を引き受けられたのですか?
(写真:蓜島氏)
飯田 この状況を何とかしなければという強い想いから、主体的に声をかけ、取り組みを推進しました。

蓜島 当時のご自身としては、かなり思い切った取り組みだったのではないでしょうか?

飯田 そうですね。制度改定にしてもタレントマネジメントシステムにしても、挑戦的な課題だったと思います。そこに自ら道筋を見出し、人を巻き込んで答えを出すことができたのは貴重な経験だったと思います。IT業界は変化の激しい業界であり、変化し続けること自体が求められます。挑戦する人たちが新たな流れを生み出し、バランス感を保つことができる人たちが組織をしっかりと支える─その両方の存在が会社には必要ですよね。

蓜島 新しいことに積極的なのは、社内でも少数派だったと思いますが、そうなった背景にはどのような理由があったのでしょうか?

飯田 大学時代にグローバルな視野を養う学部に所属していた経験が影響していると思います。そこでは、英語を流ちょうに話せることが重視されるわけではなく、ディスカッションのスタイルが重視されていました。自分の意見をはっきり伝え、時には意見をぶつけ合うことで、新しい良いアイデアや価値が生まれるという考え方が根付いていました。

蓜島 挑戦志向は学生時代に培われたのですね。素晴らしいです。

飯田 ありがとうございます。人材育成部門では、「より良くしたい」という強い想い、使命感で取り組んでいました。その時に渡辺さん(第1回目ゲスト)が転職してきて、共に人材開発に取り組みました。続けるうちに自分の実力不足や経営理解の不足に気づきました。渡辺さんが入社される前は、誰にも教えてもらえない環境で手探りの状態でしたが、その分、多くのことを経験から学ぶことができました。しかし、人材開発の経験豊富な渡辺さんと一緒に働くようになってから、自分にはまだ足りない部分が多いと改めて実感しました。渡辺さんから多くの新しいことを学び、ご指導いただいたおかげで成長できましたし、私とは違ったタイプの方だったため、その違いも良い刺激になりました。

蓜島 私も外部のコンサルタントとして一緒に人材開発を進めさせていただいた時期がありましたが、飯田さんは大きな変革を推進されていましたよね。その原動力や課題意識は、どのようにして生まれたのでしょうか?
(写真:飯田氏)
飯田 人材開発を長く担っていた担当者の引退をきっかけに、自分たちがどのように組織を支えていくべきかを改めて見つめ直しました。特に当時は、組織として「人材育成が本当に機能しているのか」「何を変えるべきか」が明確に言語化されておらず、私も含めて育成の方向性に対する現場の迷いも感じていました。こうした状況に強い課題意識を持ち、「今の姿を正確に捉えること」を変革の出発点としました。そこでまず取り組んだのが、課長層を対象にしたアセスメントの実施です。課長層は会社の育成の成果が現れる層であり、組織の現状を最もよく表す存在です。アセスメントによって浮かび上がった組織課題をもとに、研修の軸を再構築し、プログラムの見直しを進めました。

また、研修は育成の一部に過ぎず、それだけで人が育つわけではないことを社員に理解してもらう必要がありました。そこで「教師と生徒」という言葉をNGワードするなど、一方通行の関係から脱却することを狙いました。自ら考え、行動し、成長するプロセスを支えること、ワークアウトの導入や研修設計の工夫を通じてアプローチしました。このあたりは転職してきた渡辺さんから刺激を受け、ディスカッションをしながら徐々に課題認識を深めました。その中で自分の意見や悩みをしっかりと伝え、取り組みに納得感をもちながら推進するうちに自信が持てるようになりました。これが改革の原動力だったと思います。

さらに、コロナ禍でオンライン研修や動画教材が普及し、研修の多様化が変化を加速させる追い風となりました。進める中で特に重視したのは、単なる「研修運営」ではなく、「現在の課題」や「次に実現すべき戦略」としっかり結びつけて考える視点を持つことです。これこそが、表面的ではない本質的な変化につながったと考えています。

変革の波の中で

蓜島 当時、会社全体としてはどういったフェーズにあったのでしょうか?

飯田 会社としては東京証券取引所の第二部から第一部へ上場区分が変更されるタイミングでした。第二部の時期は、自分たちのやり方で比較的自由に活動できていましたが、第一部に昇格すると社会や市場からの期待が高まり、変化が求められるようになりました。

蓜島 外部の変化と重なり、「今が変えるチャンス」「動きやすいタイミング」だという感覚はあったかもしれませんが、社内では変化や新しいことへの抵抗もあったのではないでしょうか。

飯田 変革を望む人がいる一方で、「これまでの良さが失われる」と抵抗を感じる人もいました。特に人材育成では、経営層の考え方が大きく影響しました。一般的に経営層は大きく二つに分かれます。ひとつは「人材育成は将来投資であると熱意を持つ理想派」、もうひとつは「人材育成は目に見える業績数字のためと考える現実派」です。現実派の人たちは予算や人員管理に慎重で、育成の進め方にも違いが生まれます。どちらも業績を上げるためなので良い悪いということではありませんが、こうした考え方の違いが人材育成の変革にも影響を与えていました。

蓜島 人材開発担当としては、経営層の考え方と連携することが重要だったということですね。事業戦略だけでなく人事戦略について、経営層が何を考えているのか、どの程度情報を収集していたのでしょうか?

飯田 事業戦略を企画する部署と、2週間に1回ほどミーティングを行い、事業戦略と人事戦略の関係について継続的に話し合いを行っていました。他にも特に理想派の方々からは、直接お考えを聞く機会も日常的にありました。

抵抗の声と向き合う

蓜島 人材育成に携わる前に、年功序列型の賃金体系を改革されたというお話がありましたよね。その背景には、どのような事情があったのでしょうか?
(写真:蓜島氏)
飯田 人事制度を見直す必要があるという問題は、以前から認識されていました。賃金のほとんどが年齢給で構成されるために頑張りによって差がつかなすぎることや、生涯年収を40歳後半から回収するような賃金カーブとなっていたことが時代に合わなくなっていました。

蓜島 制度を変えようとすれば、社内から否定的な反応もあるはずです。いくら「変えるべきだ」と言っても、簡単には進まないのではないでしょうか。

飯田 たしかに反対される方もいましたが、進め方にも工夫を凝らしました。私も当時まだ20代であり「若い世代の社員に自分たちの将来を真剣に考えてほしい」という人事部長のメッセージとともにプロジェクトリーダーに任命されました。使命感を感じ、自らが一番考え抜いて制度を作り上げていきましたが、その中では人事内と現場の両面からさまざまな世代の人とオフィシャルになりすぎない場で意見交換を行いました。現状を変えるために役職にこだわらず、想いをもって上位層を説得した場面もありました。そのようなプロセスを経てできた制度を、管理職ではない中堅(やや若手)の私たちがあえて説明をすることで、若手・ベテラン層ともに否定的になりにくいように、あえてそうした構造を作りました。ここは当時の人事部長が作った構図だったと思います。

蓜島 なるほど、よく考えられたやり方ですね。

飯田 そういった経緯もあり、意見は出たものの、なんとか導入に至りました。私は当時プロジェクトリーダーとして、若いメンバー数人とまず方針を話し合い、外部コンサルタントとも協力しながら慎重に進めました。会社の文化をどう築くべきかを真剣に考え、「成果主義にすればよい」という短絡的な考えではなく、「成果主義に偏りすぎないためにはどうすべきか」悩みながら取り組みました。

蓜島 改革の必要性を感じている人でも、「そこまでやらなくても…」「ちょっとやりすぎなのでは」と思う人もいたのではないでしょうか?

飯田  「会社の根幹」を無理に壊すことはせず、むしろ現在の組織風土や文化をしっかりと理解したうえで、「どうあるべきか」を丁寧に調整しながら取り組みました。とはいえ、それでも改革が行き過ぎてしまうことはあります。だからこそ、事前に幅広い世代との腹を割った意見交換をして「これは少しやりすぎでは?」「もう少しこうした方がいいのでは」といった意見をもらったり、こちらから伝えたりしながら慎重に進めていきました。

蓜島 改革を進めるうえで、何を意識し、何を心がけて動いていたのですか?

飯田 「どこまで変えていいのか」というラインを常に意識し、見極めながら進めていました。また、目指す方向に向かううえで、障壁となるものをどう取り除くかも常に考えていました。全体を引いて見ながら、バランスを取っていたと思います。

蓜島 なぜバランスを取ることができたのでしょう?

飯田 自分で考え抜いたうえで人事内と現場の幅広い世代との対話を重ね、どちらの立場の気持ちもわかっていたので、なぜそういう言動になるのか、どう受け取られるのかも理解できました。両方の立場と向き合ったからこそ、双方の言葉や行動の背景にある思いや葛藤が見えるのです。たとえば、人に変化を促す際に、「あなたたちは〇〇だ」といった刺激的な言い方であえて煽るようなアプローチを取る方もいらっしゃいます。たしかに、言われた側が悔しさをバネにして変わることもありますが、その過程で対立やわだかまりが残ることも少なくありません。私は、そうした手法には共感できません。どうすれば最後には仲間として一緒に進んでいけるのか―そこを意識して改革を進めました。

前半はここまでとなります。後編では、人事戦略を中心に本質的な議論を展開しています。さらに充実した内容となっておりますので、ぜひご覧ください。
▶後編記事はこちらからご覧いただけます。