Part1:なぜ今「越境」なのか
ファシリテーターの蓜島さんの進行で、Part1では渡辺さんにこれまでのキャリアや人材開発のご経験についてお話しいただきました。また、「越境研修」の魅力について、渡辺さんには人事の立場から、高橋さんには研修を提供する企業の立場から、それぞれの視点で語っていただきました。
人事としてのキャリア
蓜島さん(以下、蓜島) 本日は色々なお話をお伺いしていきたいと思うのですが、渡辺さんは3月からベンチャー企業にご転職されたとのことですよね。まずは自己紹介を兼ねて、これまでの人事としてのキャリアについて、お話いただけますか?
渡辺さん(以下、渡辺) 今年の4月で50歳になりました。社会人としての経験は長くなりましたが、人事としてのキャリアはまだ15年ほどです。1998年に新卒でメーカーのコクヨ株式会社(以下、コクヨ)に入社し、キャリアの前半12年間は、ものづくりに携わってきました。入社して最初の2年間は生産管理や調達を担当し、3年目以降は商品開発や企画、マーケティングといった業務にも関わりました。ものづくりにトータル12年間携わった後、2010年に当時の社長から「人事を担当してほしい」と声をかけていただいたことをきっかけに、それ以来、約15年間、ずっと人事の領域に携わっています。
人事のキャリアについては、最初は主に人材開発に携わり、研修や人材育成、風土改革などを担当していました。その後、子会社へ転籍し、業務の幅が広がりました。転籍先では、人材開発にとどまらず、労務管理や安全衛生といった領域もマネジメントの一環として担当していました。その他、人事制度の改定や企画、蓜島さんともご一緒させていただいたグローバル人材育成や人材開発、グローバル人事にも携わりました。
前職の都築電気株式会社(以下、都築電気)に転職したのは2018年8月で、人材開発部門に入社し、部門長を務めていました。後半の2,3年くらいは人事の中でも人事戦略を担当しました。当時は、人的資本の可視化、開示が始まった時で、それに合わせて人事戦略全体を事業戦略側と密に連携しながら推進していました。そして、ちょうど今年3月に3社目 となるAl inside株式会社に転職したところです。
(写真:渡辺氏)
人材開発とトレンド
蓜島 私自身も人材開発の業務に携わってきたので、これまで様々なテーマに取り組んできました。人事には色々な制度や仕組みがありますが、本日はその中でも特に「人材開発」「人材育成」についてお伺いできればと思っています。
人材育成の中には、選抜型の研修や、日系企業におけるグローバルリーダーシップ研修、階層別教育など、様々な切り口がありますよね。最近では、キャリア開発や自己啓発の重要性もよく取り上げられるようになっています。とはいえ、育成体系そのものは昔からあまり大きく変わっていない印象もあります。渡辺さんはどのように感じていらっしゃいますか?
渡辺 そうですね、蓜島さんがおっしゃるように、育成体系については15年のキャリアを振り返っても、当時と今とでそれほど大きく変わっていないという印象を持っています。ここ数年のトレンドとしては、「越境系」と言われるような取り組み―会社の枠を越えて外部と関わったり、多様な人々と交流したりする動きが見られるようになってきました。特にコロナ禍をきっかけに、そういった活動が始まり、「こういう取り組みも良いな」と感じるようになりました。全体としては大きく変わっていない印象がありますが、一部の企業では現場主導で取り組みを進めるケースも見られたり、越境系の試みが始まったりと、多少のトレンドの変化はあるように思います。ただ、15年ほどのキャリアの中で見てきた限りでは、全体感としてそれほど大きな変化は感じていません。
蓜島 現在3社目の企業にご転職されたということですが、3社の人材育成の違いはありましたか?
渡辺 ありました。2社目の都築電気に入社してまず驚いたのは、人材開発を人事部門ではなく、現場の部署が主体となって進める文化が社内に根付いていたことです。1社目では、育成や人材開発の研修は人事が主体でしたので、ギャップがありました。現場の営業部門や技術部門のメンバーは、「自分たちの人材は自分たちで育てていく」という意識を強く持っており、それぞれに責任者が配置され、非常に主体的かつ積極的に育成を進めていました。
いわゆる営業スキルや技術系のスキルといった現場力の強化は現場に任せ、人事は全社的に汎用性のあるリーダーシップ開発やマネジメント力の強化を担う―このように、「ビジネススキルは現場」「ヒューマンスキルは人事」といった役割分担が明確になされており、「すべて人事にお任せ」という考え方とは大きく異なっていました。それは私にとってかなり大きな違いで、人事としてのこれまでのキャリアや経験の中でも、なかなか見られないケースだと感じました。現職企業はベンチャーということもあって、基本的に「人事にお任せ」といったスタンスですが、そうした状況の方がよくあるケースなのだろうと思います。
越境研修の広がり-選抜型から自発型へ
蓜島 ここ数年で「越境研修」を導入する企業も増えていますよね。「越境研修」と聞くと、選ばれた一部の人だけが参加するという印象がありますが、選抜型の研修はこれまでも行われてきました。最近は、その階層や対象が変わってきているのでしょうか?
渡辺 そう思います。これまでは限られた、ある程度上の階層の人たちだけが対象になる“選抜型”の研修が多かったと思います。しかし、最近は選抜されていない人たちもどんどん参加するようになってきています。都築電気では、実際に門戸を開いたら、「僕も行きたい」「私も行ってみたい」と手を挙げる人が非常に多くて、驚きました。また、自律的に「やりたい」と思う人は、自然と現れるものだという実感も得られました。若手であろうが、まだ管理職になっていない人たちであっても、そういった育成の場に参加することは、とても意義のあることだと思いますし、むしろ今後はさらに広がっていくべきだと感じています。
蓜島 これまでは、年次や階層といった一律的な基準で研修や育成の対象が決められることが多く、ある意味で「公平感」のようなものを重視してきた面があったと思います。越境研修にしても、階層別研修にしても、誰かを選ばなければならないという点がありますが、この辺りについて、現場や社員からの抵抗感や、逆に歓迎する声などはありましたか?
(写真左より:蓜島氏、渡辺氏)
渡辺 時代の影響があるとは思いますが、私がコクヨに在籍していた際に、ある研修で声がかかり、指名されて参加した経験がありますので、選抜型研修についてはよく理解しています。都築電気で人事戦略の企画に携わっていた時は、社員がより外の世界に目を向けられるような仕掛けづくりを行いました。そのとき、指名で送り出すのではなく、自ら手を挙げて参加してもらう方がはるかに効果的だと考え、あえて最初から指名制にはせず、本人の意思を尊重する形を取りました。
先ほどお話しした通り、都築電気では自律的な取り組みが現場に根付いていたため、その点については一定の期待を持っていました。どれだけ手が挙がるかと思っていたのですが、掲示板に募集をかけてみたところ、あっという間にどんどん手が挙がり、すぐに埋まってしまいました。そのため、これはかなり良い方法だと思いました。指名してお願いするのではなく、会社の文化や風土によっては、自分から積極的に手を挙げる人が出てくるので、それでいいと実感できました。「やらされる」のではなく、「自ら手を挙げる」という姿勢は、非常に大事だと思います。越境系のプログラムも、強制的にやらせるものではなく、手挙げ式を基本にしていましたが、期待通りというか、期待以上に手が挙がったので、良い意味で驚きました。
蓜島 ありがとうございます。では、高橋さんにお聞きしますが、エッセンス株式会社(以下、エッセンス)は越境系のビジネスを行っていますが、お客様のニーズや対象となる階層は変わってきていますか?また、広がりを見せていますか?
高橋さん(以下、高橋) 当社には「他社留学」と「プロボノ」という2つの越境研修があります。世の中には色々な越境研修があると思いますが、当社の場合は、一番ライトなものと一番ハードなものを提供しているイメージだと思います。ライト側の「プロボノ」については、元々ミドルシニア層向けに開発したものです。自社でしか働いたことがない人が、時代の流れで新しい転身先を探さなければいけなくなったときに、これまで会社のやり方や仕組みに沿って仕事をしてきたので、自分にどんなスキルや強みがあるのか分からない、と感じる人が多いんです。そういう方に、大人のインターンとして元々始めたのが私どものプロボノです。
現在では、オープンイノベーションの推進を目的に、若手や女性の活躍を支援するために導入する企業もあれば、離職防止を目的に活用する企業もあり、活用の目的が多様化してきていると感じます。一方で、他社留学は元々、いわゆる次世代リーダー候補の育成や、新規事業の立ち上げを目的としており、その点については今もあまり変わっていない印象があります。
蓜島 先ほどの「公平感」についての話に戻りますが、ジョブ型の考え方と合わせて、自律的にキャリアを築いていくという観点から言うと、自分からチャレンジし、手を挙げていく人にその場を提供することは、時代にマッチしているということですかね?
渡辺 今はそういう時代だと思います。自律的なキャリア形成については以前から言われてきましたが、最近では「自分のキャリアは自分でつくる」といったプロティアン・キャリアの概念とも繋がっていると思います。だからこそ、自分で手を挙げて覚悟を持って参加することで、途中でドロップアウトしにくくなる、そうした効果もあると感じます。そういう意味でも、今の時代にマッチしている取り組みだと感じています。
越境研修の価値と社内で得られない学び
蓜島 人材育成を自社内だけで行うには、どうしても限界があると感じています。越境研修では、他社の人材と切磋琢磨したり競い合ったり、あるいは自分自身の力を試すことができます。そうした経験から得られる学びは、社内での経験とは異なる価値をもたらすのでしょうか?
渡辺 大きな違いがあると思います。社内だけで行っている学びの場や研修には、どこかで限界があると感じます。多様性という観点で言うと、それらは非常に閉じられているとも言えます。どうしても、クローズドな環境になりがちで、お互いに顔見知りの仲間同士で研修を行うのと、全く知らない人たちとの交流の場では、全く異なる経験が得られるのではないでしょうか。会社や住んでいる場所など、異なる境遇やバックグラウンドが違う人たちと交流することによって受ける刺激や気づきの度合いは全く違うと思います。自分自身もそうでしたし、企画側として同席し、オブザーブするだけでも非常に刺激を受けました。体感としても、やはり全然違いました。一社内でクローズドに行われる研修と、越境的にいろんな人と交わりながら行う研修では、ダイナミクスが全く異なると思います。
(写真左より:渡辺氏、高橋氏)
蓜島 異質性や多様性を強く感じることができるのでしょうか?
渡辺 そうですね、「こんなふうに考える人たちがいるんだ」とか、「日本は狭いと思っていたけれど、世の中にはこんな場所があるんだ」といったように、今まで知らなかった世界に気づきます。全く異なる価値観を持った人と話すだけでも大きな刺激になりますし、自分との違いにハッとさせられることも多いです。そうした気づきの深さという点では、いわゆる“越境”のような体験は、とても強いインパクトを持っていると思います。
蓜島 高橋さんはいかがですか?
高橋 当社のお客様は、非常に成熟した大企業が多いのですが、良くも悪くも「失敗しない仕組み」がしっかり出来上がっていると感じています。もちろん、失敗や苦労を通じて学べることは多々ありますが、そうした経験を積む環境が、社内ではなかなか得づらいのだろうと思います。成熟したビジネスが安定的に回っていて、それを支える組織体制も非常に堅固なものになっているので、体当たりで挑戦し、失敗し、やり直すーそういったプロセスを社内で経験するのは難しい、というのが一つの課題だと感じています。
越境プログラムが終わった後にアンケートを実施するのですが、参加者に「自社と越境先の違いや、それぞれの良さは何か」と尋ねると、多くの方が自社の良さとして「安定している」「規模が大きい」といった点を挙げます。一方で、越境先となる小規模な企業の中には、資金を自ら集めて、いわば「お金を燃やすようにして」事業を立ち上げているようなベンチャーもあります。そういった環境は、大企業の社員からすると、まるで別世界のように感じられるようです。しかし、そうした環境にわざわざ身を置いて、ビジネスに挑戦している人たちの「気概」や「熱量」といったものは、まさにご指摘のとおり、大企業の中だけではなかなか得られない経験だと思います。
蓜島 大企業は、他社留学に送り込む人材を「失敗しない優秀な人」として選びますよね。それでも、実際に行ってみると失敗することがあるんですか?
高橋 はい、失敗することが多いです。私どものサービスでは、他社留学の方が強度が高いのですが、留学中に思った通りにいかず、必ず一度はへこむ時期があります。そこでどうやって開き直って、立ち直るかが求められます。この経験は非常に大きいと思います。
渡辺 社内では得難い経験であり、クローズドな環境では実現できない機会ですね。
高橋 私は50代ですが、若手だった頃、社会や会社には「失敗しても良い」という寛容な文化があったように感じます。新卒で入社した会社の社長に「あなたが失敗しても会社は潰れないから、思いっきりやっていいよ」と言われました。最近の若い方は、自分のキャリアに対して非常に敏感で、「汚点を残したくない」という意識が強く感じられます。他社留学に参加する研修生の伴走サポートを行う際には、必ず最初に「今回はベンチャーに行くので、たとえ失敗しても人事評価には全く影響しないから積極的にチャレンジしましょう!」と伝えるようにしています。まずはその点からスタートし、思い切り挑戦した結果として得られるものを持ち帰ってほしいと考えています。このような実験的な経験は、大企業の中では作りにくいのではないかと思います。
蓜島 文化や習慣のようなものは、気づかないうちに身についてしまっているものですよね。「出島を作るしかない」という感覚に近いものがあると思いました。
渡辺 「体感の場」というのは、本当に大事ですよね。ただ、一企業の中だけでそういった体感できる場をつくるには、やはり限界があると感じています。だからこそ、高橋さんが提供されているような越境研修に参加することで、ある程度の規模感を持って体感できる点は、得られる学びが非常に大きく、とても価値のあることだと思います。
学びを深めるための仕掛けと工夫
蓜島 越境研修を企画する側の立場からお伺いしたいのですが、体感させる側における「コツ」のようなものはありますでしょうか?同じ研修を受けていても、人によって学びの深さには差がありますよね。よりリアリティを持って体感してもらうために、企画側として工夫している仕掛けなどがあれば、ぜひ教えていただきたいです。
(写真:蓜島氏)
渡辺 あまり手厚くサポートしないことですね。先ほど高橋さんがおっしゃったように、例えば小さな会社に越境したとして、過保護になりすぎると、得られる気づきや学びがどんどん薄くなってしまうと思います。先ほど、あえて失敗を経験することについての話がありましたが、その挫折感のようなものも大切です。ただ、実際のところ、所属企業でリアルに失敗するわけではないので、ある程度バーチャルな環境と言えるかもしれません。守られた状況の中での挫折や失敗ではありますが、それでもその経験は大きいと思います。
それがうまく提供されているプログラムであれば、送り出す企業にとっては大きな価値があると思います。社内では失敗を許されないけれど、このプログラムの中では失敗してもいいよ、と言えるので。もちろん、時代が厳しくなっているので、本気で失敗してしまうのは避けるべきですが、このプログラム内であれば失敗は許容されるということです。しかし、だからと言って、全てを放任するわけではありません。「しっかりと取り組んでほしい」という覚悟を伝え、それを理解してもらったうえで挑戦してもらうことが大切です。そのバランスが重要です。過保護にしすぎると、最終的には社内での経験と大差なくなってしまいます。ポイントは、ある程度放任することです。
蓜島 あるテーマに沿った学習プロセスで学んでもらうよりも、そのテーマに向けて、本人が自分でたどり着けるかどうかにフォーカスするということですかね?
渡辺 そうですね。やはり、私が都築電気で実施した時も、放任というよりは「行ってきてください」といった形でお任せしました。自分で学びのポイントを見つけることなど、自己発見の過程が重要だからです。もしそれを全部教えてしまうと、学びが薄くなってしまいます。学びの本質は、自分で気づき、その気づきから何かを発見していくことにあります。また、人脈も重要です。さまざまな会社から色々な人が集まり、年齢や性別、居住地が異なる中で一緒に活動することで、得られる刺激の相互作用が全く異なると思います。
蓜島 そうはいっても、許容度が高い人とそうでない人がいますよね。この点については、どう対応すべきでしょうか?
高橋 例えばですが、当社の他社留学は個人型ですが、プロボノというのは、チーム型で行うプログラムです。チーム型のプログラムや環境に入っていくと、「やらざるを得ない」環境になります。そのチームの中で、自分がどんな役割を果たせるのかを一生懸命考えるようになり、結果として、自分の会社では当たり前だと思っていたことが、実は社外のチームでは貴重なスキルとして役立つ、そんな経験をされる方も多くいらっしゃいます。
渡辺 都築電気で行っていた越境プログラムには、チーム型と個人型の2つのパターンがありました。チーム型では、高橋さんもおっしゃっていた通り、他のメンバーに迷惑をかけてはいけないという思いが働き、自分も頑張りながら、このチーム内での貢献度を自分なりに考えて、みんなで意見を交わしながら進めます。最後にチームの成果をプレゼンする場面が設けられていたので、みんながベクトルを合わせて一生懸命に取り組んでいました。それぞれが持っているパーソナルな部分やスキルは全く異なります。例えば、自分はここが強みで貢献できると思ったり、逆にここは自分が弱いので、あの人にお願いしようと思ったりします。その多様性の中で、うまくチームの成果や力にしていく方法を学ぶことができます。
一方で、個人型は、一人で新規事業を立ち上げるようなものだったのですが、それには自分がやらなければならないという責任感や、誰にも頼れないという別の意味での厳しさがありました。新規事業の立ち上げには、かなりの自律性が求められます。チーム制の場合、何らかの問題があり、それに対して提言するというテーマに取り組むことが大半です。チームメンバーもいますので、負担が大きいわけではありません。しかし、個人型は非常に厳しいです。提案するレベルの話ではなく、どうやって利益を上げるか、という真剣勝負で、かつ自分一人で事業を立ち上げていくわけです。こうした違いがありました。
蓜島 送り込む側からすると、ある程度一律の成長を期待するけども、ある意味割り切らないといけない部分もありますよね。伸びる人もいれば、残念ながら伸びない人もいるという前提に立たないと、なかなか勇気を持って、送り込めないですよね。
渡辺 個人の伸びしろの差はどうしようもないですね。そこを許容できないと、こういうプログラムを導入できないです。一律底上げ、と考えてしまうと、どうしても全員に一律に全員これだけ伸びてください、気づいてください、成長してくださいと期待してしまうのですが、それは難しいと思います。だからこそ、個々人の成長に応じた「選べる学び」や「気づける仕掛け」が必要になると思います。それが人事に求められているのではないでしょうか。
Part1はここまでとなります。次回、Part2では、「これからの人材育成のあり方とは」をお届けします。さらに充実した内容となっておりますので、ご期待ください!