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WORK MILL

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働き方の実証実験として「旅」を取り入れる挑戦 ー 日建設計NAD室 梅中美緒さん

働き方の選択肢は、今どんどん広がっています。フリーランス、リモートワークに始まり、複業、週3社員、週末副業と、そのバリエーションも豊か。常識にとらわれることなく、自らの暮らし方に焦点を当てた仕事のあり方を考える人が増えているためでしょう。その中で、未だ、実践が難しいとされている働き方があります。すなわち、「旅×仕事」。どこでも仕事ができる働き方が浸透しつつある傍らで、日本中あるいは世界中という規模になってくると、仕事を続けるハードルは高いのです。  

今回取材を行った日建設計の梅中美緒さんは、正社員として企業に属しつつ1年の半分は地球のどこかを旅しているといいます。もちろん、通常業務も続けながら。現在彼女がチャレンジしている働き方は「旅を仕事にする」でもなく、「旅と仕事を両立する」でもなく、Working Travel、すなわち「働くに“旅”を取り入れる」なのだそう。一体、組織の一員として、旅と仕事を同じ土俵に置いたのはなぜなのでしょうか。その思考に迫りました。

「すべての風景を見る」ために、世界中を渡り歩くことを選択した

WORK MILL:単刀直入におうかがいします。なぜ、組織に属している会社員が、旅しながら働くことに着目したのでしょうか。

─梅中美緒(うめなか・みお)
株式会社日建設計 Nikken Activity Design lab(NAD) アソシエイト。2008年日建設計入社後、設計部門に在籍。音楽大学キャンパスや各企業の研修施設などを担当。2016年よりNAD室に在籍し、三井不動産「WORKSTYLING」プロジェクトの空間ディレクターをはじめ、多くのワークスタイルデザインを手掛ける。世界100ヶ国以上を旅するバックパッカーで、2018年よりWorking Travelerとして『旅をしながら働く』の実証実験中。東北・熊本の復興支援、イラストレーター、旅ライターとしても活動。工学院大学建築学部非常勤講師。

梅中:学生時代の頃から、ひとつの夢を持っているんです。それが「死ぬまでに世界のすべての風景をみる」こと。就職活動時の履歴書にもそう書いていました。世界中の建築や人が暮らす場や空間、そういうものに強い興味を抱いていて、それらを全部見たい。できれば世界中のすべての人と話したい。

WORK MILL:見たい、感じたい。好奇心が旺盛だったのでしょうか。

梅中:そうでしたね。知らないものを直接確かめたい、まだ見ぬ世界に触れてみたい、が行動の原動力でした。そして、建築という仕事や組織設計事務所という場所はその夢の実現に最も近いと感じた。そのために、企業で会社員として働くことを選びました。

WORK MILL:企業で働くということは、一般的には1つの環境に身を置くイメージですが、梅中さんの「知的好奇心」とは矛盾しなかったのでしょうか。

梅中:そもそも私は「旅がしたい」と思っていたわけではないんですよ。「死ぬまでに世界のすべての風景をみる」という夢は、何も場所に限った話ではなくて。出会う人のバリエーションも増やしたいし、知らない環境にも身を置いてみたい。要するに、経験欲が異常なほど強かった。建築設計事務所に就職したのは、人と出会える機会に恵まれそうだと考えたからでした。さまざまな建築・空間にも関われますし、性別・年齢・属性や性格問わず多種多様な方とお仕事ができるだろうなと。それは入社10年以上経った今でも、間違っていなかったと思っています。

WORK MILL:人、土地、建築など、少しでも多くのものを見たい、と。そう考えるようになったのはいつ頃のことだったのでしょう。

梅中:大学院生のときでしょうか。建築学生って、ヨーロッパの建築を実際に見に行ってインスピレーションを受ける人が多くて、私もそのひとりだったんですね。だから、学生時代からアルバイトでお金を貯めては「建築旅」に出かけていて。ただその途中で、単なる「建築旅」ってつまらないなと思うようになってしまって……。

WORK MILL:飽きてしまったのでしょうか。

梅中:というよりも、別の視点を持つようになったのです。一流の建築家によって生み出された名建築も良いけれど、意図せず生まれた建築・空間も面白いなと。たとえば“公園の中にあるシンボリックな木に人が集う様子”に対して「人は、そもそも木の何に魅力を感じて群がるのだろうか?」と考えることが楽しくなっていった。

WORK MILL:面白いですね。だからこその「すべての風景がみたい」なのですね。建築家ではあるけれど、対象物を建築に絞って旅をしているわけではなく、空間・環境・人の行動などにも対象が及ぶ、と。

梅中:そうなんです。就職してから10年目までは、平日に働き休日に旅をする、いわゆる「リーマントラベラー」でした。国境が見えると「越えたい……!」と感じてしまう体質なので、なるべく国境がない島国や陸の孤島のような国を選んで旅をしていましたね(笑)

なぜ、半分日本、半分海外を会社員ながら実現できているのか

WORK MILL:現在は、休日だけ旅をする生活を辞めて、平日でも旅をしているのですよね。働き方を変えるきっかけがあったのでしょうか。

梅中:転機が訪れたのは、会社員として働き始めて10年目のタイミングでした。入社してからの旅を振り返ってみると、私が10年間で巡ることができたのはたったの30カ国だった。生きているうちにすべての風景をみるためには、もっと旅のスピードを上げないといけない、焦りを覚えたのです。

WORK MILL:休暇を旅に充てるだけでは生涯の目標は達成できない、だから、日常的に旅をしていられる働き方を考えたのですね。

梅中:そうです。そしてこのタイミングで、会社がくれたきっかけによって長期旅が実現できることになりました。それは、弊社に新しくNikken Activity Design lab(以下、NAD)という、人間の「アクティビティ」や「場」のデザインやR&Dを行う領域横断的な部署が設立されたことです。NADの大きな特徴は、社員一人ひとりが研究テーマを持ちながら通常業務に従事すること。より良い建築の実現のために、どんな内容でも良いから課題を決め、取り組んでみようという試みでした。

WORK MILL:組織で新しくR&Dに取り組むのはとても興味深いですね。それでは、梅中さんはそこで「旅しながら働くこと」を研究テーマにしたのでしょうか。

梅中:「多くの事例を集めながら働くことで、自身のアウトプットにどのような変化があるのか」を研究テーマにしました。タイトルは「Working Travel」。というのも、弊社で私が担っている業務は、シェアオフィスの空間デザインを始めとする、ワークスタイルデザインの構築がメイン。だから、自分が場所や固定概念に縛られていたり、国内の空間事例を知っているだけでは、新しいワークスタイルデザインなんてできないのではないかとの疑問が湧いて。

WORK MILL:日本でも、すでに既存の固定観念にとらわれない働き方が試行錯誤されていたり、コンセプチュアルなコワーキングスペースなどが登場していたりと、研究対象は豊富にありそうですが。

梅中:確かに、日本にも優れた空間デザインはたくさんあります。でもそれを学んでいるだけでは、すでに見たことがあるものしか創れなくなってしまう。自分の引き出しをもっと広げるためには、国内の事例だけではなく、海の向こうも含めたサンプルが必要だなと判断しました。必ずしも評判の良い事例を目的にピンポイントで見に行くという訳ではなくて、世界がどうなっているかを、常に体験として知っていることが重要だとも思っています。そして、その経験によってアウトプットの精度が高まるのであれば、それは会社にとっても有益です。だから「実証実験として、旅をしながら働きたい」と会社に伝えました。

気ままに旅するわけじゃない。仕事に旅を取り入れる「実証実験」の意味

WORK MILL:先ほど空間デザインの仕事が多いとお話しいただきましたが、具体的な仕事内容をもう少しおうかがいできますか?

梅中:私の仕事は、空間デザインの企画・設計・進行までをプロジェクト単位で担うことです。今はチームスタッフが5名いるので、実際の資料作成等のタスクはメンバーにお願いし、私自身はプロジェクトのマネジメントを行うことが増えていますね。継続的にお付き合いのあるクライアントさんばかりなので、私自身の働き方にも理解を示してくださっています。

WORK MILL:日本にいる時期と、海外にいる時期とは、明確に区別した状態で旅をしているのでしょうか。

梅中:そうですね。旅と言っても気が向いたときにふらっと行くわけではなく、当然先々まで予定を立ててから出国日を決めています。たとえば、プロジェクトのキックオフのタイミングには必ず日本にいるようにする、新規で着工予定の案件がある場合は必要なタイミングで必ず複数回現場を訪れるなど、プロジェクトや現場の様子次第で日本の滞在日を決めています。建築の仕事は、長期プロジェクトである場合がほとんど。だからこそ、初めにスケジューリングをきっちりと行うことで、日本にいなければならない日とそうでない日を明確に分けることができます。

WORK MILL:てっきり、気の赴くまま旅しているのかと思っていました。そうではなくて、計画的に旅の予定を組んで動いているのですね。

梅中:いくら仕事に旅を取り入れているとはいえ「来週から旅に出ます」のような、突発的な動き方はメンバーにもクライアントにも迷惑をかけることになるのでできませんし、するべきだとも思いません。綿密に計画を立てて、クライアントも含め、一緒に働く人たちに「いつからいつまで、日本にいません」とかなり前から共有し理解を得た上で、国内で必要な仕事があればチームで割り振る。そういう風に進めています。

WORK MILL:旅に出ている間も会社に対する価値を発揮するために、実践していることはありますか?

梅中:自分の働く予定の内容・時間・場所を、予めチームに共有していますし、メンバーにもお願いしています。オフィスにいない分、明確に「〇〇が進行している」と言えるような、形に見える結果を残すことが求められますからね。あとは、珍しい取り組みとして、この実証実験期間中は常に腕やPCに付けたデバイスでバイタル及び環境データを取っているんです。それから、日本滞在時でも旅中でも、いつどこで何をしていたかを詳細に分類し、定量データ化している。旅の最中の心拍の変化だったり、生産性とバイタルの関係値だったり。私はこれらのデータを総じて『ライフログ』と呼んでいます。分析結果が出るのはもう少し先ですが、旅と仕事を絡めることで得られた情報を、可視化するようにしています。

梅中:別に突飛なことをしているということではなく、たとえるなら、少し期間の長いフィールドワーク出張や、地球を家と見立てたときの在宅勤務のような感覚なんです。ただ、組織の元で新しい働き方を実践するので当たり前ですが、それなりの結果が求められる。だからこそ、実験結果を証明するための材料を集めながら働いているのです。


前編はここまで。後編では、この働き方を実現するにあたって、どのように社内外との調整を進めていったのかをうかがいます。

 2020年1月28日更新
取材月:2019年11月

テキスト:鈴木 しの
写真  :黒羽 政士
イラスト:野中 聡紀
撮影場所:ワークスタイリング 東京ミッドタウン